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夏に大阪城へ行ったとき、天守の中が博物館になっていて、子どもから「ここに本当に住んでたの?」と聞かれました。
それをきっかけに、夫と「次は博物館ではなく、昔の建物がそのまま残っているお城を見せたいね」と話し、行ける場所にあったのが彦根城でした。今回は年長と小2の子どもを連れての彦根城です。
行く前のイメージは、国宝、ひこにゃん、現存天守。そのくらいでした。
とはいえ、子どもたちはどんどん先に行ってしまうので、看板や説明をゆっくり読む余裕はほとんどありませんでした。それでも歩いていると、気になることが次々に出てきます。

「なんでこんなに階段が多いんだろう?」「なんで道が曲がっているの?」「この赤い旗は何?」「石田三成のお城が近くにあるのに、なぜ新しく彦根城を作った?」
気になったことは、その場でChatGPTに聞きながら歩きました。歴史に詳しい夫にも、かなり補足してもらっています。そうしているうちに、彦根城の話は関ヶ原、武田家、そして幕末までつながっていきました。この記事では、歩きながら私が気になったことを順番にまとめています。

「西への備え」として急いで築いた城
彦根城の工事が始まったのは、慶長9年(1604)7月1日。場所は佐和山城の西方約2キロメートルの彦根山でした。関ヶ原の戦い(1600年)から、わずか4年後です。
彦根市の資料によると、幕府から6人の奉行が派遣され、近隣諸国の大名にも手伝いが命じられるなど、天下普請の様子だったそうです。天下普請とは、幕府の命令で全国の大名に工事を分担させるやり方のこと。一つの藩の城づくりというより、国の事業に近い扱いだったことが分かります。
なぜそこまでしたのかというと、豊臣家に恩のある大名が多い西国をおさえる拠点と考えられ、完成が急がれたためです。
実際、工事の途中の慶長19年(1614)に大坂冬の陣、翌年には夏の陣が起こり、築城工事は一時中断しています。つまり彦根城が建ち始めたころ、大坂にはまだ豊臣家がいたということです。
夏に行った大阪城は、当時まさにその豊臣家の城でした。大阪城へ行ったときには意識していなかった豊臣家と徳川家の関係が、彦根城でつながってきます。
私は「江戸時代になって平和になってから建てたお城」だと思い込んでいました。徳川の天下がまだ固まりきっていない時期の城だと知ると、あの石段や門の見え方が少し変わってきます。
石田三成の城「佐和山城」

彦根城のすぐ近くには、石田三成の居城だった佐和山城がありました。
彦根城からも、佐和山城の跡地がある佐和山が見えます。
関ヶ原の戦いのあと、論功行賞により佐和山城を与えられたのは、のちに徳川四天王の一人とされる井伊直政です。論功行賞とは、戦いの手柄に応じて領地などを与えることです。直政は慶長6年(1601)正月に佐和山へ入りましたが、関ヶ原で受けた鉄砲傷が悪化し、翌年に亡くなっています。
ここで、現地でも出た疑問がこれです。
「じゃあ、佐和山城をそのまま使えばよかったのでは?」
彦根城博物館によると、井伊家が佐和山に入るとまもなく新しい城の建設が計画され、彦根山への築城が決まったとされています。
おもしろいのは、新しい城を作るときに古い城が材料になっていることです。佐和山城や、古城となっていた大津城・長浜城・安土城などの石垣の石から櫓や城門までが建築に使われたと伝えられ、昭和30年代の修理工事でそれを裏付ける痕跡が確認されています。天守そのものも、大津城の天守が移されたものとされています。
石田三成の城から、徳川方の井伊家の城へ。豊臣の時代から徳川の時代へ移っていく流れを、城の場所の移り変わりで見ている。そう考えると分かりやすい気がしました。
体で分かる「攻めにくい城」
彦根城は、とにかく階段が多いです。
子どもたちは、行きはガンガン走って登っていきました。ところが山を切り開いて作ったお城なので坂がきつく、すぐにバテてしまいました。
公式サイトによると、天守までは高低差約50m、約140段の石段があり、敵兵が一気に駆け上がれないよう微妙に不規則な階段になっているそうです。歩きにくいと感じたのは、足が疲れていたせいだけではなかったようです。
道もまっすぐ天守へ向かっていません。曲がって、登って、門をくぐって、また曲がる。そのうちに「敵だったら、どこから攻める?」と子どもと話しながら歩くようになりました。

特に印象に残ったのが天秤櫓です。手前には大堀切(おおほりぎり)と呼ばれる、尾根を断ち切るように掘られた大きな空堀があります。今は橋が架かっていますが、この橋がなければ天秤櫓の高い石垣を登らないと本丸方面へ入れないつくりです。
さらに彦根城には、山の斜面を登るように石垣を築いて敵の動きを止める「登り石垣」が5か所あります。国内では洲本城や松山城などにしか見られない、珍しいものだそうです。

観光客として歩くだけでも息が上がるのに、ここを攻め上がるのはかなり大変そうです。

守りは本格的なのに彦根城は一度も攻められていない
ここまで守りを固めたお城ですが、建物がこれだけ綺麗に残っているので、戦いはなかったのだろうと踏んでいました。
調べてみると、やはり彦根城自体は一度も戦場にはならなかったそうです。
大堀切も、登り石垣も、不規則な石段も、本番を一度も迎えていない。戦いに備えて作られた仕掛けがそのままの形で残っているからこそ、今こうして歩いて体感できるのかもしれません。
赤い旗の由来「井伊の赤備え」と武田家

城内では、赤備えの赤い旗がよく目に入りました。
調べてみると、井伊家の部隊は当主から家臣まで甲冑や旗指物などを朱色で統一し、「井伊の赤備え」と呼ばれたそうです。
この赤備えのルーツは、武田家にあります。天正10年(1582)に武田氏が滅び、家康が武田の旧領を手に入れたとき、井伊直政に武田の旧臣を多く付け、武田の兵法を取り入れた「井伊の軍法」もまとめられました。なぜ赤なのかは諸説ありますが、赤備えで知られた武田の武将・飯富虎昌の勇猛さにあやかるよう家康が命じたと「井伊年譜」に記されています。
家康は元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いで武田信玄の軍に大敗しています。その戦いで、武田の赤備えを率いた山県昌景は家康に大きな打撃を与えたとされます。
かつて自分を苦しめた相手の人材や戦い方を、否定して終わるのではなく、自分の側に取り込む。井伊の赤備えはその後、小牧・長久手の戦いを皮切りに、関ヶ原では先陣を切るなど、徳川家臣団でも有数の強さで知られるようになりました。
戦国時代のこういう展開は、知るほどおもしろいですね!!
「橘」と「井桁」の2つの印
現地では、井伊家の印として2種類のマークを見かけました。

ひとつは橘(たちばな)の紋、もうひとつは「井」の字の形をした井桁(いげた)です。井伊家の菩提寺である龍潭寺(静岡県浜松市)によると、井伊家の初代・共保が生まれたと伝わる井戸があり、井伊氏はその井戸にちなんで旗印を井桁に、そばにあった橘の花を家紋にしたとされています。
橘の紋は、彦根藩井伊家の紋として「彦根橘」と呼ばれています。あくまで言い伝えですが、井戸から生まれた一族と聞くと、子どもにも印象に残りやすいエピソードでした。
彦根城から幕末の桜田門外の変まで

井伊家はその後も彦根藩を治め、幕末には井伊直弼が藩主になります。
直弼は1858年(安政5年)4月に幕府の大老に命じられました。大老は、将軍を補佐する臨時の最高職です。当時の幕府は、将軍の後継ぎ問題と、日米修好通商条約の締結という二つの課題を抱えていました。
直弼は天皇の許可(勅許)を待たずに条約に調印し、後継ぎ問題でも反対派を退けます。そして、将軍継嗣と条約調印の二つの問題に反対した人々を厳しく処罰しました。これが安政の大獄です。
こうした対立が重なった結果、安政7年3月3日(1860年3月24日)、江戸城桜田門外で、水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、直弼は暗殺されました。
「開国したから殺された」と一言で言われがちですが、調べてみると、条約の進め方、将軍の後継ぎをめぐる争い、反対派への厳しい処罰など、いくつもの対立が積み重なっていたことが分かります。
大阪城と彦根城は、同じお城でも体験がまったく違った
冒頭でも書いたように、今回彦根城を選んだきっかけは大阪城でした。実際に歩いてみて、同じお城でもこんなに感じ方が違うのかと驚きました。
大阪城の今の天守は、昭和6年(1931)に建てられたものです。鉄骨鉄筋コンクリート造りで、外観をかつての姿に再現しています。館内は歴史博物館になっていて、資料やジオラマで大阪城を知ることができます。
一方の彦根城は、江戸時代までに築かれた天守が残る「現存12天守」のひとつです。靴を脱いで木の床を歩き、急な階段を手すりにつかまって上がります。
公式の数字では1層から2層が62度、2層から3層が60度ですが、体感はほぼ90度!!
子どもたちは「怖い、怖い」と言いながら上り下りしていました。スカートで行くのは絶対にやめておいたほうがいいです。
大阪城は、歴史を展示で知る場所。彦根城は、歴史の建物そのものに入る場所。どちらが上ということではなく、体験の種類が違うのだと思います。
ちなみに、大阪城で聞かれた「ここに本当に住んでたの?」の答えも調べてみました。彦根藩の政治が行われていたのは山のふもとの表御殿で、今は彦根城博物館になっています。藩主の下屋敷だった槻御殿(けやきごてん)は、今の玄宮楽々園です。天守は暮らしの場というより、城の象徴や守りのための建物だったようです。
彦根城は2028年夏の世界遺産登録を目指している
当日は人がとても多く、天守に入るまでに30分ほど並びました。坂を登ったあとの30分は、子どもにも大人にもなかなか疲れます。あまりの人の多さに「もう世界遺産になったのかな?」と思ったほどでした。
調べてみると、彦根城は1992年に国の暫定リストに記載されて以来、登録を目指してきたそうです。そして2026年9月3日、国の文化審議会で、今年度推薦する世界文化遺産の候補として彦根城が選ばれました。
今後は推薦書をユネスコへ提出し、順調にいけば2028年夏に登録の審査を受ける見通しです。登録が近づくと、さらに混雑するかもしれません。
彦根城を出たあとの記念撮影で、兜と陣羽織を身につけられた
城を出てすぐのところに、カメラマンさんに写真を撮ってもらえる撮影場所があります。撮影すると小さい写真を1枚無料でもらえるので、記念に撮っていく人がほとんどでした。写真の購入は自由です。
撮影用の小物は、ひこにゃんのぬいぐるみ、兜、陣羽織、刀など、たくさん用意されています。
大阪城ではできなかった、兜をかぶって陣羽織をはおり、刀を持っての撮影です。当日は晴れていたので、天気にも恵まれました。
カメラマンさんに「はい、チーズ」と言われて、次男はついピース。その手が顔にかぶってしまったようで、撮り直してくれました。
仕上がりがとてもよかったので、写真は購入しました。料金は2,000円でした。
城下町の四番町スクエア!ひこにゃんダイニングに

今回は、城下町のほうも歩いてみました。向かったのは、ひこにゃんミュジアムがある四番町スクエアです。
ひこにゃんミュジアムは、1階にお土産やひこにゃんグッズのお店、2階にひこにゃんの写真や原作者もへろんさんの原画などの展示があります。

ちなみに行ったタイミングでサイン会も行われていました!
私たちが入ったのは、ひこにゃんダイニング 近江牛レストラン弥千代姫です。店内には、ひこにゃんをはじめ、ひこにゃんの絵本に出てくるキャラクターたちがたくさんいます。
注文したのは、お子様セット、近江牛牛すじ煮込みカレー、近江牛カルビプレート。どれもめちゃくちゃ美味しくて、量も多めでした。ハンバーグは売り切れていて食べられなかったのが心残りです。

シールやコースターもついてきて、これが可愛すぎました。

ちなみに、彦根のキャラクターがなぜ猫なのかにも由来があります。彦根藩井伊家の2代当主・井伊直孝が、お寺の門前で猫に手招きされ、雷雨から救われたという言い伝えがあるそうです。ひこにゃんは、この招き猫と、井伊家の赤備えの兜を組み合わせて生まれたキャラクターです。

あの赤い兜も、城内で見た赤備えと関係していたようですね。
子どもの視点から広がる世界
始まりは大阪城で子どもが言った「ここに本当に住んでたの?」でした。博物館になった天守を見たからこそ、当時の建物が残るお城を見てみたくなった。大阪城と彦根城、両方行ったからこそ見えた違いだったと思います。
階段が多い理由から天下普請へ。近くの佐和山城から石田三成と徳川家康へ。赤い旗から井伊直政と武田信玄へ。井伊家の話から井伊直弼と幕末へ。
石田三成 → 徳川家康 → 井伊直政 → 武田信玄 → 井伊直弼
子どもと歴史スポットに行くときは、全てを予習しなくても大丈夫!現地で出た「なんで?」を、その場で調べたり、詳しい家族に聞いたりする。特にこう言う時はAIが役に立ちます。
帰ってから図鑑や詳しい本などで深めるのもありですけど、それはまたもう少し子どもたちが大きくなったらやってみたいですね。

彦根城の基本情報(料金・開場時間・駐車場・所要時間)
所在地:滋賀県彦根市金亀町1-1(JR彦根駅から徒歩約15分)
開場時間:8:30〜17:00、最終入場16:30。天守や天秤櫓などの建物内は16:45に閉門
休み:年中無休
料金:2024年10月1日から、彦根城(玄宮園を含む)は一般1,000円、小・中学生300円。彦根城博物館とのセット券は一般1,500円、小・中学生550円
駐車場:お城近くの観光駐車場は乗用車1日1,000円
所要時間:公式の目安で最短1時間弱。表門から天守まで徒歩10分、天守内15〜20分、天守から表門まで約10分
入場券には玄宮園も含まれています。料金や時間は変わることがあるので、最新情報は彦根城公式サイトで確認してください。
子連れで彦根城へ行くときの注意点
坂と石段で子どもは思った以上に体力を使う
子ども連れの場合、公式の目安より時間に余裕を見ておくと安心です。わが家は行きの坂で体力を使い、帰りはクタクタでした。途中で休憩したり、櫓をのぞいたりしていると、あっという間に時間が過ぎます。
城内にはエレベーターやスロープなどのバリアフリー設備がないため、ベビーカーで天守まで行くのは難しいと思います。小さい子どもと行くなら、抱っこひもがあると動きやすいです。
天守の階段は急なので服装と持ち物に気をつける
天守内の階段はかなり急で、子どもは怖がるかもしれません。服装はスカートより、動きやすいパンツスタイルが安心です。
天守や櫓は土足禁止で、傘や杖は落下防止のため持ち込めません。傘や日傘は入り口で預かってもらえます(番号札と引き換え)。脱いだ靴は中に持ち込めないので、ほかの人と取り違えが心配な方は目印をつけておくのがおすすめです。
ちなみに私たちが行った日も取り違えた人がいたみたいでアナウンスされていました。笑
混雑する日は天守の前で並ぶこともある
混雑する時期は、天守の前で待つこともあります。わが家が行った日は、天守に入るまで30分ほど並びました。公式サイトに待ち時間の案内があるので、出発前に確認しておくと予定が立てやすいです。
なお、夫が調べたところでは、午前中は混雑しやすく、12時以降は待ち時間が少なめのようです。
城下町も歩くなら外側の駐車場が動きやすい
わが家は、お城の外側にある市営の京橋口駐車場に停めました。料金は1,000円でした。外側なので、天守まではなかなか歩きました。ただ、夢京橋キャッスルロードや四番町スクエアなどの城下町に近いので、そちらも散策予定なら外側に停めるほうが動きやすいと思います。

彦根城の100名城スタンプは開国記念館に

日本100名城スタンプを集めている場合、彦根城のスタンプは天守から離れた開国記念館にありました。天守まで登ってから戻るのは大変なので、先に押しておくのがおすすめです。
出典・参考資料
特別史跡彦根城跡(彦根市)
彦根城の特徴(彦根市)
国宝 彦根城 公式サイト
観覧案内(彦根城公式)
彦根藩主井伊家(彦根城博物館)
井伊の赤備え―勇猛なる軍団―(彦根城博物館)
彦根城博物館 井伊家伝来(国土交通省 多言語解説文データベース)
龍潭寺 境内案内
「彦根城」世界遺産登録に係る審議結果(滋賀県プレスリリース)
大阪城天守閣(大阪市)
ひこにゃんミュジアム(四番町スクエア)
ひこにゃんダイニング 近江牛レストラン弥千代姫
ひこにゃんのプロフィール(彦根市)


